サラリーマンは「社畜」ではなく「プロ化」を目指そう!
過労死するくらい長時間働いても生産性が一向に上がらない日本のサラリーマン。一部では「社畜化」していると揶揄されています。
しかし「社畜化」しようにもその会社自体の存在が大きなグローバル化の波の上で大きく揺らいでいます。
大きな船の上で一生働き続けられる保証はもはや存在しません。
いざとなれば、自分でボートを漕いで海を渡るスキルと覚悟が必要になっているのではないでしょうか。
「バルサ」対「日体大」の戦い?
GAFA(google apple facebook amazon)等のグローバル企業がサッカーで例えるとバルセロナやレアルマドリードのようなトッププロチームだとすると、日本企業はアマチュアの学生チームのようだと言われています。
全世界から監督が求めるスキルを持ったプロを集めてチームを結成するドリームチームであるトッププロチームの選手たちは、全世界の同じポジションのプレーヤーたちがライバルであり常に激しい競争環境に置かれます。 競争に勝ち残れば、当然破格の報酬が得られます。
その代わりにチームの方針に合わない選手はたとえどれだけ優秀な選手であれどもチームを去ることになります。
チームを去ることになった選手は、移籍先を見つけることになりますが、選手の市場は全世界に開かれていますので、実力を備えた選手であればリーグは違えどすぐに自分の条件に合ったチームに移籍することが可能です。
対して日本企業はというと、アマチュアの学生チームなので入学試験さえクリア―できれば基本的にはその学校のサッカーチームに入ることは可能です。
チームの競争相手は同じクラブチーム内に限られていますし、年功序列が普通なので同期の同じポジションの人間との競争にさえ勝てばレギュラーは確定することになります。
競争に敗れた選手は他のチームに移籍する道はなく(学生チームの移籍は転校しない限り困難)、かといってチームを首になるわけでもないという中途半端な補欠のポジションで存在し続けることになるわけです。
さて、バルセロナと日本の学生チームが戦ったらどうなるのでしょうね? 日本の学生チームがバルセロナと同等に戦えるまでにはやるべきことが山積しています。
10年後のゼネラリストより即戦力のスペシャリスト。
さて日本企業は学生チームだとすると、会社で働く「サラリーマン」はアマチュアという事になります。
給料を貰っているので、その時点でプロフェッショナルとも言えるわけですが、その人が持っている技能を活かして会社に貢献を果すという意味=スペシャリストとしてのプロフェッショナルという意味とは少し異なります。
欧米では、「仕事は何してる?」という問いに「セールス」「会計」「法務」「エンジニア」などの職種で答えますが、日本では、 「サラリーマン」「公務員」など勤務先の属性で答える か「トヨタ」「パナソニック」などの勤務先の会社名で答えるケースが多いと思います。
つまり、欧米では仕事とはその人の専門性のある職種のこと事を指しますが、日本ではその人が属する勤務先のことを示すという違いがあるのです。
このことは日本のサラリーマンはスペシャリストというよりもゼネラリストとしての資質がより多く求められてきたという背景があったからだと思います。
日本のサラリーマンはジョブローテーションといって様々な職種を横断的に経験することがあります。専門的な技能を極めるよりも、その会社でいろいろな部門の仕事を経験することで会社の全体像を把握し仕事に生かすことが優先される傾向にあります。
終身雇用を前提としたかっての日本企業では、新入社員を即戦力とは考えておらず「10年後に一人前になってくれればよい」みたいな風潮があったように思います。
仮に大卒で入社し10年たったところで32歳ー定年まではまだ30年近くあるのですからじっくりと本人の適正を見極めると同時に社内のいろんな部署を経験することでその会社を引っ張ってゆく愛社精神にあふれた幹部社員に育ってくれることを望んでいたのです。
しかし「ドッグイヤー」と称されるIT業界を中心とした技術革新の波は既存の様々な業種業態の事業者に波及し、経営環境の変化の速度は加速度的に増してきています。
そのような環境下では新入社員を10年かけてゼネラリストに育て上げるというような悠長なことは言ってられなくなりました。
グローバルな競争環境のもとでは一部の超優良企業を除いて、10年後に会社が存続しているかさえ確信が持てないからです。
つまり、10年後のゼネラリストより即戦力のスペシャリストが求められているのです。
「社畜」から「プロ」へ!
自分の専門性が、自分の会社だけでなく労働市場で適正に評価される人物=「スペシャリスト」をプロフェショナルだとすると、残念ながら日本のサラリーマンでプロだと宣言できる方は一部に限られてしまうのではないでしょうか?
先のサッカーで例えると、かっての日本では、過労死するまでチーム(会社)のためにポジションも関係なく走り続けるという戦術(社畜戦術)が通用していました。
しかし現代サッカーでは、各プレーヤーの動きはポジション別に分析されており、ゴールを取るために各ポジションのプレーヤーの動きは全体として最適化するように制御されています。
勿論、各ポジションにはそのポジションのスペシャリストたちが集められていることは言うまでもありません。
日本国内のリーグ戦であれば、「 過労死するまでチーム(会社)のためにポジションも関係なく走り続けるという社畜戦術」でよかったのかもしれませんが、「ワールドカップで勝つ」にはあまりにも貧弱な戦術であると言わざるを得ません。
かっての日本サッカーがJリーグを作りプロ化を果たしたように、日本のサラリーマンのプロ化が求められています。