[アドラー式] 人生で大切なものは自動車教習所で習った。③
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アドラーの世界は夢物語なのか?
「ピピピピ ピピピピ ピピピピ」
アイフォン の目覚まし音が聞こえてきた。
僕は、アイフォン の目覚まし音を止めるとあの「初めてのドライブの夢のような体験」は、本当に夢だった事をぼんやりと理解し始めていた。
いい夢を見たことの喜びと夢だったことの悔しさを同時に感じながら、僕は今日が本当の(現実の)公道デビューの日であることを自分に言い聞かせていた。
「現実はそんなに甘くは無いぞ」と。
挫折だらけのリアルな世界
現実の公道デビューも、親父の軽自動車で夢で見たのと同じT字路で合流するところから始まった。こちらから割り込む形なので、車列の隙を見て合流したいところ、夢の中では、ヤンキーの兄ちゃんが譲ってくれた場所だ。
前方の信号が赤に変わったので右手から流れてくる車列に注意しながら、僕の車の前方にスペースが出来る事を祈るような気持ちで待っていた。
すると、赤いファミリーカーが減速しながら近づいてきた、よし合流出来そうだと思った次の瞬間、その赤のファミリーカーは僕の車の進行方向を塞ぐように停止した。
ドライバーの若い女性は僕の軽自動車など視界に入ってませんよとばかりにだ。
僕は完全に黙殺されたようだった。
それからしばらくは、夢とは違う現実の厳しさを味わうこととなった。
高速道路に入ると後ろから迫ってきたスポーツカーに、パッシングをされながら思いっきり煽られ、死ぬ思いをした。
大型のダンプカーには幅寄せをされ、慌ててブレーキを踏んだこともあった。
その他にも、僕が軽自動車の初心者と言うこともあって、露骨に無理な割り込みをしてきたり、こちらが車線変更しようとウィンカーを出していても全然入れてくれないなど、完全に軽自動車に若葉マークを付けた僕を見下したような運転をする人が圧倒的に多かった。
昨日見た夢とは大違いだ。やっぱり現実は厳しいのだ。
周りは味方ではなく敵ばかり。僕はやっぱり「サバンナの真ん中に産み落とされた小さなバンビそのものだ」そのように感じていた。
運転することに疲れ果てた僕は、コンビニの駐車場に何とか車を止めコーヒーを飲んで心を休ませた。
家に帰るまでに、また周りの敵たちに見下されながら帰るのかと思うと気が重かった。
でも、しょうがない帰るしかない。
僕はゆるゆると車を走らせた。
警官とヤクザに勇気付けられた!
しばらく走ると車がすれ違うには狭い道路にぶち当たった。僕は手前で停車し対向車を優先させた。
すると対向車線から警察のバイクとパトカーがやってきた。
彼らは手前で待っている僕に対して、右手を上げてお礼をしながら走り去っていった。
その後には黒塗りのベンツがやってきて、これもまた右手をあげて僕にお礼をして走り去っていった。
その挙げた右手の小指は、半分しか無かった。
僕は、その時少し変な気持ちになった。
そうだ、僕は生まれて初めて「警官とヤクザ」にお礼をされた事に気づいた。
この世で恐れていた二大巨塔である警官とヤクザに、この僕がこの軽自動車に乗っている初心者マークをつけた僕が、お礼をされたのだ。
僕はなんだか彼らに「勇気づけられた」ような気がしていた。
その後も僕は、できるだけスムーズな車の流れになるように気をつけて運転した。
僕に譲られた形になったいろんな車は、だいたい右手をあげたりハザードを点滅させたり感謝の気持ちを表してくれていた。
なかには何の返答もない人もいたが、それは主に僕と同じ初心者マークをつけたような人で、あまり交通ルールやマナーを知らないような人が多かったように思う。
車の運転の上手そうな人やベテランドライバーなどは、だいたい何らかのリアクションをしてくれていた。
リアルな世界も悪くない。要は自分次第。
なんとか家に戻った僕は今日1日の出来事を振り返ってみた。
夢の世界と違って軽自動車に初心者マークをつけた僕を見下したような態度を取る人は、いっぱいいた。
嫌な思いもしたし、周りは敵ばっかりだと思った。
しかし、そのような見下したような人たちも僕が道を譲ればお礼をしてくれる。
「僕を見下した人」そして「僕にお礼を言った人」この両者は別に色分けされているわけではない。つまりは、状況によって悪魔にも天使にもなるということだ。
僕は今日「周りは敵ばかりだ」と思ったが正しくは「周りは敵でもあり仲間でもある人達ばかり」だったのだ。
そして、敵か仲間かを決めるのは、自分自身であることにも気づき出していた。
世界に貢献することで自分が勇気づけられる。
自分が道を譲ればみんな感謝してくれる。
ここで勘違いして欲しく無いのは、僕は彼らが怖かったから道を譲ったのでは無いことだ。
彼らの顔色を伺ったわけでは無い。
スムーズな道の流れを生み出すには、僕が少し手前で待つことがいいと思ったからそうしただけ。
渋滞のないスムーズな世界は自分自身も含めみんなの役に立つ。そんな行動をできた自分は少し誇らしい気分だった。
現に警官やヤクザまでもが、こんな軽自動車に乗った若葉マークの僕にお礼をしてくれた。
僕は、今日の出来事を振り返りながら、また明日もドライブに出掛ける勇気が湧いてきたことを感じていた。
そう、多分「スムーズな世界に貢献できたことを感じ取ること」で僕自身が勇気付けられたのだ。
そして、このループを廻すことが、アドラー式のシンプルな幸せになる法則なのだと感じていた。
終