[アドラー式]原因が先か目的が先か?

2020年8月7日

ニワトリが先かタマゴが先か」という命題は有名ですが、心理学では「原因が先か目的が先か?」という命題があります。

原因論とは「何かしらの原因があって、現在の結果がある。」目的論とは「何かしらの目的があって、現在の結果を創り出している。」という2つの考え方です。

「原因論」とはフロイトを始めとする心理学の主流の考え方で「目的論」はアドラーが提唱しはじめた「原因論」を否定する考え方です。

目的論はアドラー心理学の肝となる考え方の一つで、生き方を一変させてしまう衝撃的な内容になっています。

原因論と目的論

原因論と目的論の例

課題:恋人ができない

・原因論:過去の失恋体験(原因)で恋人を作れない(行動)。

・目的論:恋人にふられて傷つきたくない(目的)ので恋人を作れない(行動)。

課題:引きこもり

・原因論:両親に虐待を受けた体験(原因)があるから社会に適応できずに引きこもっている(行動)。

・目的論:両親に復讐したい或いは注目を集めたいから(目的)引きこもりを続けている。(行動)

このように、目的論では過去のトラウマを否定しています。

過去が行動を決定しているのではなく、目的によって行動が決定しているという考え方です。

現状では「過去のトラウマが原因になって、恋愛ができないとか引きこもりになってしまった」という原因論の方が、一般的に受け入れられているように思います。

しかし、原因論では「過去が変えれない以上、現在の行動を変えることは出来ない」というジレンマを抱えています

目的論では目的を変えれば、行動も変わります。

例えば、原因論では、風邪をひいた患者に、「あなたは冬に薄着で過ごしていたから(原因)熱がでている(行動)のです」と診断しているに過ぎません。

一方目的論では「あなたが熱を出している(行動)のは、両親にもっと注目して欲しい(目的)からだ」と診断し両親との関係性に問題があることを指摘します。

原因論では「冬に薄着で過ごしていた」という事実は変えることは出来ず、熱を下げることもできませんが、目的論では両親との関係性を改善することにより、熱を下げることも可能になるというわけです。

言い訳は原因論

過去のトラウマの話だけではなく「〇〇(原因)のために〇〇できない」という言い方は日常的にしています。

「子どもに手が掛かるから働きに出られない」

「親の面倒を見るために結婚できない」等々

人は自分を正当化するために言い訳を用意することがよくあります。

僕自身もサラリーマンだった頃「子育てに参加したい」という理由で転勤を断ったことがありました。

その時は本当にそのように感じていたと思いますが、今から振り返ってみれば転勤をしたからといって子育てができないというわけではなく、新しい仕事の環境にチャレンジする勇気が欠けていただけなのかもしれません。

子育ては言い訳のキラーワード?

子育ては考えてみれば言い訳の王様みたいなものです。

子育てを言い訳にすると、他人はもちろんのこと自分自身も納得させてしまう説得力があります。

この子のためには、全てを犠牲にしても構わない」などと熱い感情に支配されることも事実なのですが、冷静になって考えてみると「子育て」を言い訳にした別の自分自身の思惑が隠されていることも少なくありません。

そのような親に限って「自分は家族の犠牲になっているのだ」という被害者意識を持って家族に接するものですから家族にとってはたまったものではありません。

「家族」や「子育て」などが何かができない「言い訳のキラーワード」になってないでしょうか

かっての僕のように家族を言い訳にして「自分の楽な道を歩んでいるのではないか」と自らを振り返ってみることも大切です。

案外そこには、何か別の目的があって、その目的の実現のために「家族」や「子育て」を利用しているだけなのかもしれません