[アドラー式]世界は「ONE TEAM」だ!

2020年8月9日

昨年ラグビーワールドカップが開催され日本代表が大活躍しました。

日本代表の戦う姿は多くの人に感動と夢を与え「ONE TEAM」という言葉が流行語になりました。

一見すると多国籍軍のような日本代表が「ONE TEAM」にまとまった裏にはどのような心理が働いていたのでしょうか?

ここではチームスポーツを通じて人間の心理を追ってみたいと思います。

チームスポーツは過酷な競争社会

僕自身のスポーツ経験では陸上競技などの個人競技が多かったので、本格的にチームスポーツに取り組んだ経験はそれほど多くはありません。

チームスポーツをしている人を見て、サッカーや野球、ラグビーなど試合に出れる人はいいけれども試合に出れないプレーヤーいわゆる補欠の選手にとっては面白くないだろうなと感じていました。

もちろんチームスポーツにもいろんなレベルがあって、すべての人が試合に出れるようなファンスポーツ的なものから、国を代表して戦うような真剣レベルまでプレーヤーが取り組むスタイルは様々です。

レベルが上がるにつれて選手の技量も上がりますし、レギュラーを確保することも難しくなります。

国を代表するナショナルチームのレベルともなれば、それこそ各地域のトップレベルの選手がしのぎを削ります。

そこには我々凡人には計り知れない過酷な競争の世界が待ち受けているに違いありません。

いわゆるレギュラー争いの局面にはいろんなドラマが隠されていると思います。

きれいごとだけでは済まない世界だとは思いますし、お互いライバルのことを憎んだり蹴落とそうと考えることもあるのかもしれません。

ライバル争いがチーム力を高める。

しかしラグビーの日本代表もそうでしたがサッカーや野球などの強い日本代表は、レギュラーはもちろんのこと、補欠の選手も全てが「ONE TEAM」となって戦っています。

試合に出れない選手たちが腐っているようなチームは「ONE TEAM」とは呼べないのです。

それぞれ選手たちにとってポジション争いの場面では、相手を敵のように感じているかもしれません。

だけれども、そのポジション争いこそが自分のチームの競争力を向上させていることも同時に理解しているのです。

ポジション争いのないチームが強いわけはありません。

このポジション争いの過酷さと比例してチーム力というのは向上していくものだと思います。

つまり選手の立場から見ると、相対するライバルの存在はポジション争いをしている段階では確かになのかもしれませんが、いざチームの一員として戦うときにはその選手はチームの貴重な戦力となる仲間になります。

敵から仲間に変わる瞬間に『ONE TEAM』が始動する。

レギュラーとして選ばれたのが自分であろうとライバルの選手であろうと、一旦チームとして他のチームと戦うときには紛れもなく戦ってくれている仲間なわけです。

このライバルが「敵から心強い仲間に変わる」そのことこそがチームスポーツの持つ素晴らしさなんだと思います

しのぎを削ったライバルの数が多ければ多いほど、そのライバルたちの熱い想いを背負って相手チームと戦います。

そして選び抜かれた選手たちが集まって1つのチームとして戦う姿は、「ONE TEAM」として人々に感動と勇気を与えるのです。

「より大きな共同体の声を聴くこと」が世界を変える

アドラー心理学的に見ると、このように「1対1の人間関係」よりも「チーム全体の人間関係」と捉える事、つまりより大きな枠組みで人間関係を捉えるということが大切だと言われています。

アドラーは困ったときには「より大きな共同体の声を聴け」言葉を残しています。

スポーツの世界に限らず日常生活においても、「より大きな共同体の声を聴く」いう事は非常に大切な考え方です。

今まで敵だと思っていた存在が本当は大切な仲間だったというようなことが起こり得るのかもしれません。

他人を敵と見るか仲間とみるかでは、その人の人生観は大きく変わってきます。

相手が敵か味方かを決めるのは多くの場合、相手ではなく、あなた自身なのです。