[アドラー式] SNSトラブルいじめと課題の分離〜追悼 木村花さん〜

2020年7月7日

プロレスラーで人気テレビ番組テラスハウスに出演されていた木村花さんが先日自宅で亡くなっていたのが発見されました。

報道によりますと遺書らしきメモが残されており自殺の可能性が高いとのことです。

インターネット上ではテラスハウスの番組内での彼女の言動に対して非難する声がかなりの数アップされており、そのことが自殺の原因ではないかとみられています。

TwitterやFacebookなどのSNSの発達により個人における情報発信がインターネット以前の時代に比べて驚異的に発達を遂げました。

それゆえにインターネットを介した匿名による非難中傷が集中してしまうーいわゆる炎上する事が散見されており、看過できない状況になっているようです。

陰口が公に晒されるSNS

僕自身は、幸か不幸かSNS上でバスったり炎上したりと言う事は今まで殆どありませんでした。

多分基本的に使い方がいまいちよくわかっていないからだと思いますが、大半が他人のコメントを読んだりする受動的な使い方しか出来ていません。

なのでTwitterで炎上するという現象がいまひとつよくわからないのですが、個人が匿名で自由に意見を述べれるツールがあることで、ふとしたきっかけで様々な人からの意見が情報発信者の当事者に向けられることになるのでしょう。

個人の能力を高めるコミニケーションツールとしてのTwitterは非常に素晴らしい機能を持っていると思いますが、その機能性の高さゆえ一個人にターゲットが向けられると一個人には受け止められない位の誹謗中傷が浴びせかけられるようです。

一昔前までは他人の悪口は陰口といって本人のいないところで、こそこそと言われるのが多かったように思いますが、最近は陰口が陰ではなくなり本人を含めた公にさらされる場面が増えていることが問題のような気がします。

このようなご時世、どのように他者と向き合っていけば良いのでしょう。

そこでは新しい他人との付き合い方、人間関係の持ち方が求められているのではないでしょうか。

対人関係の基本的スタンス「課題の分離」

アドラー式の考え方では、自分のことを非難中傷されたとしても「自分のことをどのように受け取るかはその人の課題であり、自分の課題ではない」とスルーすべきだと考えます。

どれだけ相手が自分に対して理不尽な感情を抱いていたとしても、それはその人自身が解決すべき課題であるのだから、相手にすり寄る必要もないし、自分を曲げてまで相手に謝る必要もないという訳です。

SNS上での炎上や学校におけるいじめなどの問題にしてもですが、自分を攻撃してくる「相手の課題」を「自分の課題」のように受け止めてしまう事で、自らが精神的なダメージを負ってしまうという背景があるような気がします。
その結果、自ら生命を断つという最悪の結果をもたらしてしまったのではないでしょうか。
アドラー式の「課題の分離」が出来ていれば今回のような悲惨な結末は防げたのかも知れません。

「嫌われる勇気」を持って自分の人生を生きる

しかし、現実的にはそんなに簡単じゃない。そのような他人の声を無視したような態度を取り続ければきっと周囲の人から浮いてしまうー嫌われるのではないか?という声が聞こえてきそうですが、書いてる自分も実はそう思っています。

でも、それがアドラー式なのです。ベストセラーになった「嫌われる勇気」とは「嫌われる覚悟」を持って生きろというアドラーの教えです。

自由とは他人に嫌われる事とアドラーは言い切ります。

このように、アドラー式の生き方は簡単なものではありません。

しかし、他者にコントロールされる不自由な生き方や自分がコントロールできない他者の課題に介入して悩む事より、少々道は険しくても嫌われる勇気を持ち自分の人生を進む方が幸福への近道であるような気がします。

課題の分離とは

アドラー心理学における対人関係の基本的スタンス。
「その選択によって、もたらされる結果を引き受けるのは誰か?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離して「他者の課題には踏み込まない」という姿勢、考え方のこと。
対人関係では、「自分のことをどのように受け取るかは他者の課題であり、自分の課題ではない」と割切ることが大切。
他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重苦しいものにしてしまう。
「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知り他者の課題は切り捨てる。そのことが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルにする第一歩である。

嫌われる勇気「課題の分離とは何か」