[アドラー式]人生で大切なものは自動車教習所で学んだ。①

2020年6月14日

褒めない叱らない アドラー教習所

これはある日の夢物語、一人の青年が運転免許の取得を目指して教習所に通うところから始まる。

僕は、運転免許取得を目指してアドラー教習所に通い出した。今日で一週間が経つ。

通う前は父から、「教習所の教官は常に上から目線で接してくる」「運転ができるだけのことで、よくもあんな態度が取れたものだ」などと散々昭和時代の教習所の悪口を聞かされていたので、内心は教習所に通うことにビクビクしていた。

しかし、ここでの教習はとても快適だ。

教官は生徒に対して敬意を持って接してくれる。もちろん僕もそんな教官の方々をとてもリスペクトしている。

今まで学校で出会った先生とは少し違う感じがする。

学校の先生は、基本的に上から目線の人が多かった。中には、体罰を与えてくる先生や非常に理不尽な怒り方をする先生もいた。

良い成績を取れば、褒められることもあったが圧倒的に叱られた方が記憶に残っている。

僕の担任だった先生は、特に感情の起伏が激しい方で、褒めるときは必要以上に大袈裟、叱るときは必要以上にヒステリックだったように思う。

「褒めるときも叱る時も本気で生徒に向き合っています。」をモットーにしているらしかった。

しかし、クラスの生徒達はみんな先生の顔色を伺っている感じがしていて、僕は正直その雰囲気に馴染めなかったことを憶えている。

教習所の教官は基本的に「褒めることも叱ること」も無い。

与えられた課題をクリアーできれば合格のサインをくれる。

課題がクリアーできなければ、できない原因を理論的に説明してくれて、できるまで反復練習に付き合ってくれる。それの繰り返しだ。

教官と生徒は対等の関係

ある日、横乗りしてもらっている教官にこう尋ねた。

僕「実は、教習に来る前は、教習所は上から目線の教官が偉そうに教えてくるー。と親から聞かされていたんでビビってたんですよ」

教官「昔はそんな教官が多かったらしいですね。でも今はそんなことありません。教官と生徒はあくまで対等の関係です。僕はあなたより数年早く生まれて、運転の技術を身に付けただけの存在です。そして現在運転技術を身につけたいと考えているあなたに、仕事として技術を教えている。それだけの話です。教習を終える頃には、あなたは私とほぼ同等の技術を身につけている事だと思いますよ。そんな私があなたより上の存在なわけがありません。」

僕「でも、何かを教えるときに人は上から目線になりがちですよね。」

教官「確かに現時点では、私はあなたより車の運転について知識と経験があるでしょう。でもお見かけしたところファッションに関してはあなたは私より随分とセンスがある。ファッションに関してはあなたは私の先生になり得ると思います。つまり、場面により私はあなたの先生でもあり生徒でもある、お互い様の関係です。」

僕 「そういえば、教官には怒られた事ないですよね。」

教官 「私は、生徒さんに対して褒めたり叱ったりすることは基本的に行いません。なかには褒めたり叱ったりする教官もいるみたいですが…」

僕「それは何故ですか?」

教官「褒めたり叱ったりという行為は、言い方を変えれば「アメとムチ」で相手を操作するとも言えるじゃないですか。私が生徒であるあなたを操作したい=つまりは「あなたの意に沿わない目標に向かって行動させたい。」と考えたら「アメとムチ」を使うかもしれません。でも今はそんな状況ではないと考えています。あなたが教習所に通う目的はなんですか?」

僕「運転免許を取ることです。」

教官「私の目標は、あなたに運転免許を取ってもらうことです。一致していますね。」

僕「そうですね。」

教官「目的が一緒で立場は対等なのです。褒めることや叱ることは上から目線な感じがして、私のスタイルではありません。もちろん、あなたが課題をクリアーしてくれたら嬉しいですが、褒めると言うより、ありがとうの感謝の気持ちが強いですね。反対に課題がクリアー出来なかったときには、出来なかった原因を考え対策を練ります。そこに怒りの感情はありません。」

僕「なるほど」

免許取得に成功 教官に感謝

それから3週間経って僕は運転免許の取得に成功した。

アドラー教習所での約1ヶ月の教習期間はとても有意義なものだった。

運転することはとても楽しく感じられたし、何より教習を受けている時には今までの学校には感じられなかった充実感を感じた。

教官の方々には、本当に感謝の気持ちで一杯だ。

彼らのドライブテクニックは一流だったし、教え方も感情的に褒めたり叱ったりすることなく、なんだかとてもスムーズで自然な感じがした。

仮に、僕が他人に何かを教えるような機会があれば、お手本にしたいと思えるような先生達だった。

続く